『KENZAN』への連載にあたって②

 この六月に講談社から『戦国奇譚 首』を、PHPから『北条氏照』を立て続けに上梓させていただきましたが、この両作品を読んでいただいた方々から、「まったく別人の書いた作品のようだ」、「作風や文体を意識的に変えているのでは」というご意見をいただきました。
 ご明察です。
 『首』は、何も意識せず、しぜんに書いたものですが、『北条氏照』はPHPから出ている先達たちの諸作品を参考にし、歴史小説が初めての読者にも、容易に入っていけるように工夫を凝らしたところがあります。
 元々、デビュー作ではそうした作風だったので、それをリライトしたものですから、そんなに無理でなかったのは確かですが、明らかに装いはポップです(笑)。
 それに対し、『首』のフィルムノワールな雰囲気を重視した作風と文体は、まさにプログレでしょう。
 両作品には、ビートルズキング・クリムゾンくらいの違いはあります。
 自らの方向性をいろいろ考えたのですが、確かにポップな作風で、単体武将モノを描き続ければ、収入は格段に多くなるでしょう。しかし、それでは「何のために書くのか」という命題を見失うことにつながりかねません。
 たとえ茨の道であっても、「クリムゾン・キングの道を進みたい」というのが、偽らざる心境です。
 そして、このプログレ路線の次回作こそ、『KENZAN』掲載作品です。
 この作品群で描こうとするのは、「歴史ミステリー(謎解き)と文学的カタルシスの両立」です。『首』が、「ラストの衝撃と文学的カタルシスの両立」というテーマをもって臨んだのとは異なり、今回の作品群は、「歴史ミステリー(謎解き)と文学的カタルシスの両立」というテーマを自らに課しました。
 従来、歴史ミステリーというジャンルの作品は、謎解きに焦点が絞られ、読者の感性に訴えるような文学的カタルシスとの両立がうまくなされていませんでした(管見ながら)。
 つまり、この作品群では、ある謎を解くと同時に、そこに展開する人間模様を描くということに主眼が置かれています。
 『KENZAN』用には、すでに六作品を書き上げていますが、その中から、二〜三作を、順次、連載させていただく予定です。
 その後、短編六作をまとめ、単行本化される予定です。
 第一話で解く謎は「武田家滅亡時、なぜ武田逍遥軒は、大嶋城から逃げたか」です。
 ご存知の通り、伊那谷を攻め上ってくる織田勢を防ぐためには、大嶋城で敵を防ぎ、長期戦に持ち込み、勝頼本隊の後詰により、逆襲に転じるという戦術が、勝頼らには描かれていたと思われます。
 しかし何を思ったか、逍遥軒は城を捨てて逃げてしまうのです。これにより、伊那谷防衛線は瓦解し、敵を無傷のまま高遠まで通してしまいます。武田家滅亡の直接の原因が逍遥軒にあったと言っても、過言ではないでしょう。
 今回の作品では、同時に、もう一つの大きな謎である「なぜ信虎は、帰還してすぐに死んだのか」にも迫っております。
 戦国の悲哀をとくとご堪能あれ!