「レッドクリフ PartⅠ」エンタメに徹した潔さ


 11歳になる長男が行きたいというので、「レッドクリフ PartⅠ」に行ってきた。私は映画館に行かない人なので、封切りは「男たちの大和」以来(その前は「タイタニック」)。
 それにしても、ワーナーマイカルシネマズみなとみらいは、土曜の午後にもかかわらず、十五人程度しか観客がいない。この映画はヒットしているはずなのに?
 さて、以下は感想である。
何事にも徹することは大事である。ハリウッドから100億円も予算をもらえば(コストのかからない中国で)、鼻血が止まらなくなるくらい張り切って、下手に「世紀の大作」、「感動の名作」を作ろうとするが人間というものである。そうなれば、ろくでもないものができることは自明の理である。
このジョン・ウーという監督は、自分の長所と限界をよく知っている。「あっしは皆さんを楽しませるのが商売ですから」と言っているようでさえある。つまり、エンタメに徹せられる大人であり、商売人なのである。
 映画にうるさい私でさえ、あっという間の二時間半であった。次から次へと畳み掛けるようにアクションが展開し、ストーリー展開などまったく不在なのである。これだけシナリオが用をなさない映画もないだろう。延々と殺陣を見せられているのと同じである。つまり、ストーリーで楽しませるのではなく、アクションで楽しませる映画なのである。少しは「もう少しハラハラドキドキさせた方がいいよ」、「どうせ大逆転させるのだから、もう少し追い込んだ方がいいよ」、「ちゃんと逆転の布石とか伏線を張っとけよ」と、シナリオワークのアドバイスをしたくなる。でも、この監督にとり、「そんなこたぁ、どうでもいい」のであろう。
 数少ないラブシーンなども、何かのパロディのように陳腐である。カメラワークが粗雑で力を入れていないことが明白なのである。これでは女優がかわいそうになってしまうが、「ちゃんと女も出したからいいだろう。さっさと次に行くぜ」と監督が言っているようでさえある。
 ここまで徹せられると痛快極まりない。
 主役も不在で、誰についていっていいのかわからない展開となる。トニー・レオンという役者が誰か知らない私は、最初に超雲だと思い、次に劉備だと思い、次に孫権だと思い、ようやく周ユだと知った。金城武を知らなかったら諸葛孔明だと思っていたろう。それでも誰かに重心を置いているわけではなく、主役不在の群集劇である。それが悪いというわけではなく、こうした軸の不在を小うるさく言うプロデューサーがいないのはすごいことである。 結論からいえば、「荒っぽく作られた映画」ではあるが「楽しめる映画」なので、大いに結構である。PartⅡも見に行くつもりである。蛇足ながら、曹操と超雲の役者はいい味を出している。
 マイカルシネマズはシネコンなので別のハコで「ハンサムスーツ」とか「ハッピーフライト」をやっていた。日本の映画人と映画ファンがかわいそうで、目頭が熱くなった。
仍如件