フェルメール展に行ってきました


 新聞販売店からチケットを入手し、家族でフェルメール展に行ってきた。去年の「牛乳を注ぐ女」に続いて二年連続の眼福に、至福の時を過ごせた。
 とはいうものの、三連休の中日とあって大混雑。朝一に駆けつけても、どうにもならないほど混んでいた。私の場合、日本に紹介され始めた90年初頭からのフェルメール・フリークなのだが、最近の加熱ぶりは異常。特に今回は、三十五作品しか現存しないフェルメールを同時に七作品鑑賞できるという信じ難いイベントの上、会期末が迫っているので、当然かもしれない。
 『マリアとマルタ家のキリスト』は、フェルメール最初期の作品。でも、あまりうまくない。キリストの頭が大き過ぎで、ひどく撫で肩。タペストリーも質感が伴っていない。彼の本領が発揮されているとは言いがたい凡庸な作品。「天才でも最初はこの程度」と妙に納得。
 『ダイアナとニンフたち』も、最初期ならではの宗教画。こちらは色調が明るく、ダイナミック。絵自体がでかいので、たいへん見応えがある。『マリア―』と異なり、大胆な筆使いで、衣紋の流れがたいへん自然。でも、よく見るとおかしい。ダイアナの乳房の位置が上過ぎるし、周囲の人物にも遠近感が乏しい。奥行きがないのだ。
 『二人の紳士と女』は、全盛期の作品。さすがと思わせる光の細かい観察、色彩バランスの巧みさ、人物の動作の自然さ、考えつくされたモティーフの配置、丁寧な仕上がり等、他のオランダ絵画の追随を許さない出来である。眼福…。
 『窓辺でリュート調弦する女』も全盛期の作品。こちらは色調がシンプルで、影の部分がほぼ真っ黒になっている。小物の数も少ない。あまり構成に気を使わなかった感がある。しかし、調弦する女の表情や微妙な動作の描写はフェルメールならではの完成度を示す。
 『小路』は最盛期の作品。フェルメールにしては珍しい都市景観画である。どうやら生涯三点(現存二点)の風景画のうちの一つらしい。描写力の確かさはいうまでもないが、この時間が止まったような空気感はフェルメールならではのもの。これも一流の作品である。
 『手紙を書く女と召使』(添付写真)は、怒涛の全盛期作品を経た後の後期の作品。今回の目玉でもある。洒落た言い方をお許しいただけるなら、「その場の静寂が、時を越えて、鑑賞者に伝わる」ほどの芸術作品である。温もりのない冷たい光が陰影を際立たせ、モティーフに生命を与えている。これを芸術と言わずして何という。
 『ヴァージナルの前に座る若い女』も後期の作品。ただし最近になって、フェルメールの真作と判定されたいわくつきの代物で、贋作説も根強い。ササビーズで2004年に33億円で競り落とされたというが、果たしてその価値は如何―。正直に申し上げて、これは贋作だと思う。その根拠は控えるが、もし真作だとしても、この作品は、フェルメールとしてはいただけないものである。
 なお、当初は、驚異的傑作『絵画芸術』が来る予定だったが、損傷が激しいため、直前になって日本への搬送が取りやめになったことは、たいへん残念である。
 秋空の下、喩えようのない満足感に浸りながら、上野公園を散策した。芸術は人の心を豊かにしてくれる。
仍如件