「戦国大名北条氏とその文書」展に行ってきました


神奈川県立歴史博物館に「戦国大名北条氏とその文書」展を見に行ってきました。行こう行こうと思いつつ、結局、会期終了間際になってしまうのはいつものこと。とはいうものの、三連休の初日の土曜にしてはすいていました。まあ、北条氏だからね(笑)。
ここのところ城めぐりに行っていませんが、小田原城西曲輪西掘発掘現場説明会、早雲寺寺宝展、そしてこれと北条氏からみのイベントに三連発で行きました。ここ何週間かは、久々に北条氏の世界に浸ったという感があります。
連れて行った11歳の長男に薀蓄をたれていると、突然、背後から声がかかりました。誰かと思ったら蒼庚斎殿でした。いやー、こうしたイベントに来る人はホントに限られていますね。
ということで、今回は三年前に二俣川で展示されていた北条家文書とは、また違ったものが多く、興味がそそられました(その時も蒼庚斎殿と一緒でした)。
構成は「北条家文書」という狭山北条家に伝わったもの、「本光寺文書」という北条為昌開基の寺に伝わったもの、「帰源院」という円覚寺塔頭の一つに伝わったもの、「桜井家文書」という北条家中級家臣の家に伝わったもの、「江梨鈴木家文書」という伊豆水軍の家に伝わったものから成っています。竪紙、折紙、切紙等、当時の文書作法についてもよくわかる説明がされていました。
また今回、小田原宝泉寺に伝わる「北条時長像」が幻庵の嫡男三郎であることが、ほぼ確定したとのことです。三郎といえば、かの「上杉三郎景虎」と混同されますが、この三郎は青年期に病没した幻庵の嫡男のことです。
今回も展示されていましたが、氏康公から三郎への「酒を呑み過ぎるな」、「みだりに城外に出るな」、「家臣をきちっと管理しろ」などと戒められた文書が残っていますので、彼は相当のバサラだと思っていたところ、この絵からはそんなことはまったく伝わってきません。どこから見ても品行方正な青年のようです。目立った活躍もできずに若くしてこの世を去ったのが惜しまれます。
その他にも、氏綱公の人柄を表す全国六十六寺への経筒の奉納(亡き妻の一周忌供養です)、実は、四人に一人が鉄砲を持たされていたことがわかる「北条氏規掟書」、滅亡後の氏直公の寂しさ溢れる唯一の朱印状、五代それぞれの花押の変遷等見所目白押しでした。
むろん蒼庚斎殿の解説が聞けたので、たいへん助かりました。
蒼庚斎殿、ありがとうございました。
この展示は、明日11/24で終了となります。
(添付写真は早雲庵様の花押)
仍如件