晩秋の嵯峨野を往く




 12月4日に大阪で講演があったので、その翌日、たまたま別の用事で京都に来ていた家内と嵯峨野に行くことにした。4日はあいにくの雨で、私は講演前に大阪城に行くくらいしかできなかったが、家内は友人と雨をおして東福寺に行ったという。
 4日の夜は、東本願寺前の「北海館 花の坊」という「じゃらん満足度京都第三位」の宿に、家内と泊り(\15,250/人)、たいへん素晴らしい夕食と朝食をいただいた。サービスもよく、たいへん心地よい宿だった。
 本来は東山周辺を適当に流すつもりだったが、宿の仲居さんに勧められ、思い切って嵯峨野・嵐山に足を延ばすことにした。
 当然のごとく、8:30の電車はラッシュなみの混雑。紅葉の季節は終わりに近づいているとはいえ、さすが観光都市京都である。高齢者を中心にしてたいへんな数の観光客である。
 嵯峨嵐山駅で下車し、まずは天龍寺から。

天龍寺
 1339年、吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うため、足利尊氏が夢窓国師を招いて建立したという古刹である。尊氏はライバルのためにこれだけの寺を建てるのだから、やはりいい奴だったのだろう。曹源池庭園という回遊式庭園が見所であるが、紅葉はややピークアウト気味で、すでに末枯れの冬の庭という感じだった。

宝厳院(ほうごんいん)
 この寺は天龍寺塔頭の一つであり、「獅子吼の庭」という嵐山を巧みに取り入れた借景回遊式庭園として有名とのこと。こちらの紅葉はいまだ十分に残っており、500円/人を払っても、「入ってよかった」という感じ。意外に広くて、ゆっくりと紅葉を楽しむにはもってこいの庭園だった。ちなみに、「獅子吼の庭」とは、庭をめぐることで、仏の説法の声を自然の中に聞き取り、人生の真理や正道を見極めることを念じての命名であるという。でも、この混雑では仏の声も聞き取りにくい(笑)。

大河内山荘(おおこうちさんそう)
 渡月橋を彼方に臨みつつ、桂川沿いの遊歩道をさかのぼる。ここから、小倉百人一首で名高い小倉山の南面から東面に造られた寺社を散策するコースが始まる。 
鬱蒼とした竹林のトンネルを通って着いた大河内山荘は寺社ではない。「丹下左膳」役で有名な戦前の映画俳優大河内傳次郎が、三十年の歳月と巨費を投じて建てた別荘である。この人は相当な粋人であったらしく、映画で稼いだ金をほとんどこの山荘の造営に注ぎ込んだという。むろんその価値はあったはずだ。移り変わる嵐山の四季と遥かに臨む比叡山を見ているだけで、人としてこの世に生を享けた喜びを感じられたはずである。傳次郎は晩年、造園に多大な関心を示し、仏教徒として敬虔な人生を過ごしたという。「抹茶代強制で1000円/人は高い!」が、当然のことながら、その価値はある。

常寂光寺(じょうじゃっこうじ)
 大河内山荘からなだらかな坂を下り、小倉池を左手に見つつ常寂光寺へ。平安時代藤原定家の山荘があったと伝わる地に建立された日蓮宗寺院であるこの寺は、特に茅葺の仁王門が豪壮である。慶長元年(1596)開山なので、この辺の寺の中ではそれほど古くはないが、散策する者を浄土にいるような感覚に誘う。永遠の浄土といわれる「常寂光土」からその名はきており、十分に計算し尽くされたシークエンス(継起性のある風景)の美を堪能できる。山腹に堂塔伽藍が造られているので、風の影響が強いためか、こちらの紅葉はとうに見頃を過ぎていたが、重要文化財の多宝塔の彼方に見える比叡山大文字山が美しい。

落柿舎(らくししゃ)
 山裾から平地に下り、のどかな田園風景に囲まれた中に落柿舎はある。この小さな家は蕉門十哲の一人、向井去来の草庵だそうで、ひじょうに素朴なたたずまいを見せている。去来は自らの在不在を表すために、門柱に蓑と笠を掛けておいたという。歌人らしい粋な仕組みである。今回は改装工事のため、外から眺めるだけであったが、門内の柿の木には、柿がいくつも実っていた。ああ、秋だな―。

二尊院(にそんいん)
 続いて二尊院へ。この寺は阿弥陀如来と釈迦如来をツートップで祀ってあるところからその名は由来している。釈迦如来は人が誕生した際に送り出していただく役目を果たし、阿弥陀如来は人が寿命を全うした時に、極楽浄土から迎えに来ていただく役目を果たしているとのこと。「人生とは魂の途中下車の旅なのだな」と実感する。こちらは庭園の景観を楽しむ寺ではなく、普通の寺である。本堂前に飾られた「五色だんだら」が質実たる堂塔伽藍を際立たせて美しい。

祇王寺(ぎおうじ)
 続いて、平清盛をめぐる悲恋の逸話を持つ祇王寺へ。こちらはこじんまりした尼寺で、いかにも清盛に捨てられた祇王が、世をはかなんで建てた尼寺という風情がある。その苔むす庭は見事な紅葉の絨毯に彩られ、木々の間から指す木漏れ日がその美しさを際立たせていた。

化野念仏寺(あだしのねんぶつでら)
知足庵という京料理の店で湯豆腐を食べ、鳥居元の宿町を経て、化野念仏寺へ。こちらは今回の寺めぐりの中でも、最も食い足りなかった。これで500円/人も取るのは暴利である。かつての無縁仏の埋葬地というので、期待度が高かったが、石仏、石塔、墓があるだけで、縹渺とした寂しさもないただの寺である。これなら関東によくある寺と同じかそれ以下である。鳥居本の宿町の店棚も観光客目当ての儲け主義の店が多そうで、あまり好感が持てない。

清涼寺
 こちらは拝観料を取らない地域の大寺である。仁王門、多宝塔、釈迦堂等もスケールがでかい。今まで見てきた寺とは別世界である。寺の起源はかなり古いようだが、堂塔伽藍は近代に再建されたものばかりのようである。この寺は本堂の鬼瓦が面白い。

宝筐院(ほうきょういん)
 白河天皇が建立し、楠木正行足利義詮の菩提所でもある宝筐院の回遊式庭園は、ややピークアウトしつつあるものの、いまだ紅葉が真っ盛りであった。祇王寺もそうだったが、こうした山陰や大きな常緑樹の下にある庭の紅葉は、風の影響を受けにくく、なかなか散りにくいそうである。京都では下賀茂神社の紅葉が長いことで有名だそうである。こちら宝筐院の紅葉も見頃であり、小さいながらもその落ち着いた風情の庭とマッチして、いい味を出していた。今回の寺院めぐりの中では、意外な「めっけもの」であった。

大覚寺
 今回の旅の最後は、ご存知、真言宗大覚寺派の総本山大覚寺で飾ることにした。南北朝時代には南朝の拠点として、北朝持明院派と対立していたことで、つとに著名な大寺である。ここは回廊をめぐる見学コースがうまくできているので、様々な角度から庭や堂塔伽藍の変化を楽しめる。もちろん一番の見所は、「観月の舞台」と呼ばれる大沢池を取り込んだ庭園を一望の下に見渡せる張り出し舞台である。ここから見渡せる大沢池越の紅葉は真に美しい。今回の短い旅を飾るにふさわしいラストであった。

(写真は祇王寺、落柿舎の柿、清涼寺の鬼瓦、大覚寺観月の舞台にたたずむ私)

仍如件