『KENZAN』への連載開始にあたって(上)

 
 最近、気づいたのですが、歴史小説は、現代モノに比べ、その寿命が長い分、粘り強く書き続ければ、いつかは報われると思っていたのですが、そうでもないと思い始めました。
というのも、ライバルは同時代の作家たちではなく、すでに故人となった作家たちであることに気づいたからです。
ミクシイなどのコミュで、お勧めの歴史小説というトピが立つと、必ず司馬遼太郎藤沢周平らビッグネームの名が上がり、今がピークの作家たち、戦国時代を中心に書いている先輩たちを例に挙げれば、山本兼一飯嶋和一岩井三四二安倍龍太郎葉室麟(敬称略)らの名さえ上がらないという事態に気づいたからです。
 つまり、歴史小説ファンは、かなり昔の作品を読んでいるのです!
 これでは、新しい作家の出る幕はありません。
「お前らの力が足らないのだ」とおっしゃられる方もいるでしょう。しかし、時代小説も含めた他の分野が、すべて新しいものを求められているにもかかわらず、歴史小説だけが過去のスタンダードばかりを求められるのはおかしなことです。
各時代には、時代ごとの感性に適った作品があるはずです。
正直言って、私はことあるごとに司馬先生を礼讃してきましたが、さすがにその考え方の古さはいかんともし難く、最近は、かなり読むのが辛くなってしまうことがあります。それは司馬先生の責任ではなく、時代は常に変化し続けているからなのです。むろん、司馬先生の場合、執筆当時、「時代を超えたスタンダードにしよう」なんて考えもしていなかったはずです。
いずれにしても、今の若い人が、60〜70年代に書かれた小説を、古いとも思わず読んでいるのは、歴史小説分野にだけ見られる奇妙な現象です。
これも、歴史小説ファンの保守性の為せる技なのかわかりませんが、今更、それを言っても始まりません。
新たな歴史作家群に吸引できるような出版業界全体の工夫が必要です。
 その工夫のひとつが、講談社が年に三回出している雑誌『KENZAN』です。ご存じない方ももいらっしゃるかも知れませんが、『KENZAN』は、比較的、新しい時代・歴史小説家の短中編小説だけを掲載している季刊誌です。連載モノが多いのですが、読み切りもあります。どちらかという時代小説が多いのですが、歴史小説もあります。
 その道のプロとしての登龍門といえる『KENZAN』に、いよいよ私の連載が始まります。
 文芸賞に一度として応募したことのない私の場合、こうして他の優れた作家の作品と肩を並べて比較されることは、初めてのことです。ある意味、異種格闘技戦の様相を呈しているとはいえ、文章術の観点から言えば、勝負は勝負なのですから、読者の方々がどのように評価なされるか楽しみです。
 その第一回作品に持ってきたのが『画龍点睛』です。
 それについては、次回、御紹介いたしましょう。