2009/11/14「鉢形オフレポート」第二部


13:00に寄居駅に集合し、鉢形城に向かった一行は、クルマ組との合流も果たし、13:30頃から鉢形城史記念館開館五周年記念特別展「北条安房守と真田安房守展」の見学をスタート。それにしても、この展示会のタイトル、やけくそのように長いですね。
私はこの記念館のオープニングの時も訪れていたので、常設展示も五年ぶりだったので、楽しめましたが、今回の特別展では、なかなかお目にかかれない真田家の文書が見られるので、楽しみでした。
 こうした展示は甲冑や武具がないと、華がないと思われがちですが、実はこの古文書の見方がわかる面白いのです。それについては、すでに神奈川県立歴史博物館で開催された「戦国大名北条氏とその文書」展についてのレポートで述べたので、ここでは繰り返しませんが、竪紙、折紙、切紙等、当時の文書作法について知っていると面白さも格別です。
 また、祐筆が書いたものが多い中で、真筆の花押は貴重です。「書は人を表す」と言われますが、まさに言いえて妙です。
 さて、今回の展示についてですが、「二人の安房守」とタイトルにしているのですから、漫然と展示物を並べるのではなく、二人の対比年表などを作って、展示物を並べるなどの工夫があると、もっとよかったと思われます。
武田家滅亡後の十年、二人は各所で攻防を繰り返しながら、最後の鉢形城攻防戦で決着を見るのですが、その因縁がよりドラマチックになったと思いますし、見学者の理解も、より深まったと思われます。
 それにしても、謙信、信玄、昌幸を相手に、一歩も引かず、北条家の上武戦線を守り抜いた氏邦の評価は、あまりに低い気がしてなりません。彼らの華々しい戦歴に花を添える脇役でしか名の出るところのない氏邦ですが、己の使命を守り、粘り強く戦い、最後まで大敗を喫することがなかったわけですから、もっと高く評価されてしかるべきと思うのですが、いまだその位置づけは10年前と変わりません。
 やはり、最後の最後で降伏してしまったというのが大きかったのでしょうね。ここで討死ないしは自害していたとしたら、氏邦の名は不朽のものとなったでしょう。
 小山田信茂といい、荒木村重といい、氏邦といい、死に場所を誤ると、武士はたいへんな重荷を背負って歴史の中で生きねばならないのです。当時もそれくらいのことはわかっていたと思いますが、それまでは勇猛果敢で人格者であっても、どういうわけか死ねない人もいるのです。人とは不思議なものですね。