THe Whoのコンサート


誰でも、どこかに何か置き忘れてきたものがあるはずです。
そうしたことは、普段は気づいていないけれど、五感に刺激があった時、ふと思い出すものです。
私のにとってのThe Whoは、まさに「閉じるのを忘れていた若き日の日記の最後のページを閉じるきっかけ」となってくれました。
だから昨夜は、何かが「終わったな」という感慨にずっと包まれていました。
(人生の折り返し地点だったのかも知れません)

日本での知名度の低さに比べ、英国では、ビートルズストーンズに続くNO.3バンドとしてのザ・フーの地位は揺るぎないものがあります。
その強烈なギターリフ、怒涛のドラミング、コンセプチュアルなアルバム等、ザ・フーがいかに個性的なバンドであるかは、語りつくされてきましたが、何といっても、彼らの魅力は「曲の説得力」にあると思います。
あの「青春の熱さや虚しさ」はザ・フーでしか表現できないものなのです。

昨夜のコンサートは中年の方々が多く、やはりザ・フーとともに青春を過ごした世代が中心でした。
私は仕事の関係で背広でしたが、モッズファッションに身を包んだ方もいらして、にやりとする場面が多くありました。
ここまでの人生で、知り合うチャンスはなかったけれど、彼らにもすばらしい青春や人生があったのだと思うと、とても他人とは思えません。
そういう気にさせてくれるのも、共有できる音楽がずっとそばにあったからなのですね。

コンサートは、初めからピート・タウンゼントのギターリフが怒涛のように押し寄せ、その音量、音圧の凄さ、リフの切れ味に圧倒されました。
そうした中でも、時折見せる感傷的なメロディが、青春に戻った心をくすぐります。
私の最も好きなアルバムである「四重人格」からも何曲か選ばれ、背後のスクリーンに「さらば青春の光」の一部が映されました。
涙です。
あれほどダイレクトに青春の焦燥や苦しさを描き出した映画はありませんでした。
あっという間に二時間が過ぎ、アンコールの「Tomy」のメドレーには、心底、泣けました。
そして、会場の灯りが点いた時、何かが終わったという感慨が押し寄せてきました。
ずっと忘れていた感覚、あの鋭利で傷つきやすかった若き日々が思い出され、そしてその感覚に、遂に終止符が打てた気がしました。

仍如件