八王子城搦手オフ【第三部】

 山を下り、松竹神社の西に広がる推定屋敷跡地を見学。こちらは、以前は中に入れたが、今は入れない。私も中に入った記憶がある。またここは、崩した石垣を堀に埋めるという暴挙があった地でもる。前川先生は、歴史遺物の保護に熱心でなかった”かつての”八王子市の対応に憤慨していた。
 眼前の公園では子供がサッカーに興じている。その向こうを筒状のドームに囲われた中央高速が深沢山を貫いている。まさに過去と現在と未来が入り混じっている場所である。
 心源院に集合後、クルマで小田野城へ。公園から入るルートである。すぐ前が枡形虎口だというが、にわかにはわからない地形になっている。これは、戦時中に本曲輪を削平した折に余った土などで埋められたものを、最近、発掘させたらしい。しかし、地形が改変されていることは間違いなく、枡形の残像すらもわからなかった。新聞には「枡形虎口出土」の活字か躍ったということなので、間違いはなさそうである。
 小田野城は、戦時中、農地を増やすために本曲輪部分が削り取られ、今は縄張りのわからない城となっている。まさに神奈川砲台のために山頂部分を削り取られた権現山城のようなものである。わずかに残る藪に入り、地形的特長の説明を受ける。この城は、八王子築城以前は案下道の関城だったとのこと。前川先生曰く、「足柄や山中のような街道封鎖の役目を担わされていた」とのこと。
公園に戻り、解散となった。
 ということで、無事に搦手オフは終わった。大六天曲輪には行っていないので、搦手完全制覇とは言い難いものの、まずは見所をカバーできたと思っている。前川先生曰く「八王子城を全部見るには四泊五日」とのこと。
 今回は難易度の高い搦手ということで、前川先生に案内を依頼して大正解だった。やはり搦手は、私では荷が重い(笑)。
 いずれにしても、残された遺構を守っていくのはわれわれ仕事である。かつて搦手で敵の大軍を引き受け、玉砕した農兵や修験者のためにも、この谷に「開発という」敵を入れないようにするのが、われわれの使命なのだ。
 最後に宣伝ですが、某大手版元の武将シリーズの一つとして、七月か八月に「北条氏照」を出します。これはデビュー作「戦国関東血風録」を下敷きに、氏照視線だけにして、ほとんど全文書き換えた野心作です。もちろん八王子築城から落城まで、徹底的に城と合戦にこだわった作品となっています。合戦シーン満載の上、研究家の方々も言及していない数々の歴史解釈を交えて氏照の実像に迫ります。どこかの国の総理大臣はぶれまくっていますが、氏照は「ぶれない男」としてその生涯を全うしました。ぜひ、ご一読、ただきたいと思います。また、既述のように前川先生の八王子城研究の集大成となる研究本も、今年中に出ます。こちらは地元出版社からなので、気がつきにくいかも知れませんが、拙著「北条氏照」と合わせて読まれると、一層、面白いと思われます。
 次回はいよいよ滝山城です。開催日は4月25日です。詳細はおって発表させていただきます。
(写真は搦手西端、小田野城案内板)