【小笠原氏城郭群オフレポート1】犬甘(いぬかい)城

 総勢九名全員が時間通り10:00に集合し、いよいよ松本平の小笠原氏城郭群オフが始まった。
まずは集合場所の犬甘城。ここは公園化しているが、遺構はきちんと残されている。
 当日は桜祭りが何かで、たいへん混雑していたが、何とか駐車場を確保できた。ここは終日無料なので、クルマの数を絞れるので待ち合わせに最適とのこと。
 犬甘城は小笠原氏以前にこの地を治めていた国衙在庁官人犬甘氏の本拠であったとのことだが、さすが古い城だけあって縄張りが連郭式で、いたってシンプル。西に奈良井川を臨む崖端城なので、西の構えは十分だが、東が犬甘い(トホホ笑)。このあたりは「埋もれた古城」にも指摘されているが、この東側の緩斜面をどう処理していたのかは不明。なぜかというと、この城は城址公園化しており、しかもそれは江戸期にさかのぼるという。それじゃ、記録が残っていなくてもうなずける。しかし、東側は松本平の内懐の上、北側にはだらだらと崖沿いの尾根山が、平瀬城のさらに北側まで続いているので、守りが甘くてもよかったのかも知れない。南側から回り込もうとする敵には、深志城と挟撃できるし。ということは、深志城って、犬甘氏の館として、意外に古くからあったのかも知れない。
と思いつつ、「埋もれた古城」を参照すると、それらしき記述が―。
 うもちゃんと一緒だったら、またほめられて座布団一枚もらえるところだったのに、無念―。
 城というのは単体で考えるよりも、他城との連携で造られているということを示す好例かも知れない。
 さて、戦国期のこの城だが、小笠原氏城郭群の「西の守り」を担っていたと、一般には言われるが、実際は、奈良井川の西側を見張る物見城でしかなかったのではないか。松本平の西側に小笠原氏の脅威となる勢力はなく、西側には、当時、林城の支城である深志城があった。
 松本平の城郭攻略戦の第一ラウンドとしては、まずはジャブで相手との距離を測るという程度か―。
仍如件