【小笠原氏城郭群オフレポート6】埴原城(はいばらじょう)

続いて、桐原城と並ぶ今回のオフの目玉である埴原城だ。
お城仲間からは、「凄い城」という話を幾度となく聞かされ、いつかは巡礼せねばならぬと思っていたが、まさかこれほどとは―。
山家城でびっくりなら、こちらは腰を抜かすほどの凄さだ。
まずは蓮華寺の見事なしだれ桜を鑑賞しつつ登城開始。すぐに「御屋敷」と呼ばれる埴原氏の居館跡が見えてくる。埴原城の内懐に抱かれ、眼下の田畑を見下ろす位置にある。左手に見える長大で緩やかな西尾根の見学は、帰路となる。ちなみにここには古墳もあるという。
登城路が西尾根の上部に着くや、遺構開始。ここからは小笠原氏系の特徴である小さな段曲輪が見られる。二曲輪に着くあたりから遺構は複雑性を増す。長方形の段曲輪が重層化しており、どのように守ったかたいへん興味がある。二、三曲輪ともに居住性には乏しい(二曲輪は25m×12m)。二曲輪は西尾根防御の、三曲輪は南西尾根の要だったのだろう。
この二、三曲輪だけが、他の段曲輪よりもやや広く取ってある。蓮華寺を真ん中に挟んで登り口を持つこの二つの尾根が、攻撃されやすいのは明白で、ここに厚い防御を施したと思われる。
続いて、「西小屋」と呼ばれる段曲輪群と堀切群に行こうとしたが、あまりの高低差に断念。山頂曲輪から見るだけとした。
山頂曲輪群はさすがに広い。三つの曲輪から成っており、それぞれ21m×14m、28m×14m、そして、最高所の本曲輪が30m×20mである。居住には十分な広さであるので、戦時には、ここに武将クラスが駐屯していたのであろう。
要所に土塁が残っており、特に本曲輪の後方にあるU字型(ないしは三日月形)土塁は、この地方に共通した特徴がある。ちなみに、このタイプの土塁は伊豆の狩野城、矢崎狩野城、白水城にも見られる。
南尾根の六重堀切もまた見事である。ただし、下草苅りのために何らかの車両を入れたのか、東側半面がかなり破壊されていた。もう二度と復元できないであろう。
 この六重堀切の西側には「亀の井」と呼ばれる溜池遺構がある。土留めの石垣もあるが、当時のものかどうかは不明。
 そして、ハイライトは本曲輪後方の竪堀群である。
 ここはすごい。
 恐竜の背骨のように一本、太い竪堀を築き、その左右にあばらのように竪堀を落としている。東の尾根から攻めくる敵を意識した形跡があるが、それ以上、東側には遺構はないようである。明らかに高い尾根が続いているだけに不思議だ。この恐竜尾根で敵を食い止めるつもりだったのであろうか。もしくは、いろいろ手を加えようとしている矢先に武田軍が攻め寄せたのかはわからない。
『高白斎記』によると、この城は、塩尻合戦後の武田家来襲時に、真っ先に攻め落とされた「イヌイの城」に比定されている。そのことから考えると、この本曲輪背部に残る遺構群は、最終段階になってヒステリックなまでの普請を施した名残なのかも知れない。だから、東端の鍵状に折れ曲がった堀切+竪堀も、最終処理が曖昧なのであろう。
しかし、これだけの遺構が残っているとは思わなかった。しかも、徹底した下草苅りが行われていたので、風景は戦国時代そのものである。
帰路は西尾根を通ったが、こちらは藪漕ぎとなり、これといった遺構にはお目にかかれなかった。それでも、「敵を通さないぞ」という意志が感じられる小曲輪群が丁寧に造られていた。また、この西尾根のさらに支尾根は明らかに普請途中のものがある。これなどは普請作業の最中に武田家来襲があったことの証左であろう。
埴原城を「イヌイの城」と比定することは、地理的には無理がない。この城が松本平の南の押さえだからである。しかし、同じ山塊にあるとはいえ、林大城から尾根伝いに後詰するのは無理らしく、後詰の小笠原勢がこの城を後詰する場合、平地をやってこなければならない。塩尻峠で手痛い目に遭っている上、武田軍との野戦は根性が要る。
おそらく、後詰部隊の編制が遅れている間に、埴原城が落ちてしまった、ないしは自落してしまったというあたりが、実相なのであろう。情報の伝わるのが遅い昔の人は、今の感覚では考えられないくらいのんきなのである。
そうしたことから考えると、この城(最終形)は、塩尻合戦後、武田家来襲が確実になった時に、小笠原長時がパニックって相当の手を入れたのは、間違いないだろう。むろん、その前から地道な修築が、続けられていたのも確かだ。
最新学説では、本能寺以後、松本平を回復した小笠原貞慶が、かなりの手を入れたとされているが、この城だけは、その可能性も捨てきれない。南から来る敵に対する松本平防衛の前衛拠点としての役割を果たしているからである。仮想敵は木曾義昌なのだが、いったん貞慶に追い払われ、木曾谷に閉塞した義昌が、秀吉の合力を得て反撃態勢に移る可能性が、ないとは言い切れないからである。
なお曲輪名は最新の地元史家の縄張り図に従っている。
写真は、蓮華寺のしだれ桜、鉢巻の石積み遺構、堀切・竪堀遺構。