「大乱歩展」に行ってきました


本日は「大乱歩展」を見に、横浜近代文学館に行ってきました。
http://www.kanabun.or.jp/te0162.html
皆さんもよくご存じだと思いますが、江戸川乱歩は日本の探偵小説の始祖と言える方です。そのペンネームが、エドガー・アラン・ポーからきているのは有名な話ですね。
私も乱歩の大ファンで、高校時代には横溝正史森村誠一とともに、最もよく読んだ作家の一人でした。そんなわけで、その懐かしさもあって行ってきたのですが(家から文学館は徒歩10分だし)、戦前戦後当時の文壇の雰囲気が伝わる展示品の数々を心ゆくまで堪能しました。
 つらつらと書いていても、読んでいただけないので(笑)、要点だけピックアップします。

・当時は文壇の付き合いがかなり濃く、互いに刺激しあいながら、新しいアイデアを生み出していたという事実に驚かされました。今は皆、蛸壺状態なので、どの作家もパターン化していますね。作家同士の交流が大切のようです
・小説家はマメでないと務まらないことがわかりました。乱歩の資料整理にかける執念は異常です。私もマメですが、もっとマメになろうと思いました
・文壇の付き合い、友人との頻繁な手紙の交換、外国文学の原書での読書などをしながら、よくあれだけの量の作品を残せたのか不思議です。取材効率と執筆時間の短さは異常です。作家は、無駄な時間をいかに削っていくかが勝負だと痛感しました
・乱歩は今でも読まれ続けているので幸せですが、一緒に集合写真などに写っている、あまり名の知られていない文士の方々は、すでに作品も活字の海底に沈み、二度と日の目を見ることはないのでしょうね。そう思うと、自分のやっていることに虚しさも感じます。でもまあ、東野圭吾だって三十年後に残るとは思えないけど(笑)。
・乱歩は天才型ではなく努力型の作家でした。才能は「何かにピンとくる」というレーダー機能にあったようです。つまり、友人のとの会話の断片や新聞記事にインスピレーションを得て、それを拡大していく才に恵まれていたようです。やはり天才か(笑)

ということで、いろいろ思うところのある展示でした。
乱歩の浅草趣味というのも、何かノスタルジックな味わいがあっていいですね。
ツンドクになるのを承知で、図録も買わずに代表作を何冊か買い込みました。この秋は三十年ぶりの乱歩を堪能しようと思います。