滝之沢城について

 リクエストに応えまして、滝之沢城のレポートです。
 153号線を南下し、治部坂峠から平谷村を目指します。その途中にあるのが、”とつばせの関”と滝之沢城です。
 この関と城はセットになっていて、平時は関の機能だけが求められ、いざ戦時となると、南西にあたる美濃・三河方面からの敵をここで防ぐ役割が課せられています。むろん敵とは織田・徳川勢であり、この関と城を守るのは武田家傘下の国衆下條氏です。
つまり、恒常的に人が住んでいる城ではなく、陣城、陣所、関城といった類の城です。
 この城は、西から東に流れる柳川と三州街道をかき抱くように両岸の急崖が迫った地に築かれています。武田領国と織田領国の境目は、もっと南西の根羽村ですから、本来は根羽村に防衛線を築くはずなのですが、そこは信玄、最も地形的に防御に適した地に防衛ラインを築きました。つまり、南北からせり上がるように急崖迫り、その内懐の東側の地に、この陣城の本陣が築かれています。
 戦いの経過がどうなったのか、いかに下條一族が戦ったのかについては、ほどなく発表させていただく短編でお楽しみ下さい。

写真は土塁、石積み等です。もちろん石積みが当時の物かどうかはわかりません。